チュムリアップ・スオ!こんにちは。
前回のカンボジアの遺跡「バイヨン」についての記事はご覧いただけたでしょうか?今回はカンボジアの象徴「アンコール・ワット」についてご紹介いたします。
●アンコール・ワットの建造者、クメール人
九世紀ごろにジャヤーヴァルマン二世という人があらわれます。彼は現在のカンボジアでも人口の九割を占めるクメール民族の出身で、前の王朝に替わり、新たにクメール王朝を開きます。
そんな彼らクメール王朝の王たちがつくりあげた寺院などがアンコール遺跡群です。そういった点からアンコール王朝という別名もあります。
アンコール・ワットそのものが建造されたのは西暦1100年代ごろだと言われています。当時の王がヒンドゥー教寺院として建造を命じましたが、三十年もの時間をかけたにも関わらず未完成部分があったそうです。
●「クメールの微笑み」の秘密
その後、王が替わっても工事は続けられました。また途中からヒンドゥー教寺院ではなく、仏教寺院に変更されたりもしました。
現在のカンボジアは仏教が主流ですが、昔はインドの強い影響を受けていて、インド由来の神々を奉ずるヒンドゥー教が主流でした。またヒンドゥー教から仏教への移行期には、仏教とヒンドゥー教が混在したこともありました。
バイヨンにある「クメールの微笑み」も、ヒンドゥーの神の顔なのか、仏の顔なのかわからないのもそのせいです。
十四世紀後半にはクメール王朝は衰退して無くなってしまいます。アンコール・ワットも放棄され忘れ去られてしまいますが、十六世紀ごろに再発見され、補修や改築がされました。
●意外。日本人とアンコール・ワットのつながり
十七世紀ごろにアンコール・ワットの話を聞いて参拝に訪れた人びとがいました。なんと日本人です。彼らはアンコール・ワットに来た証として、寺院に墨で書き置きを残していきました(今はやってはいけません!)。
数多い参詣者の中でもっとも有名なのが武士である森本一房です。彼はアンコール・ワットをインドにある仏教の聖地(祇園精舎)と勘違いしてここに来たようです。一説には、彼はアンコール・ワットに仏像を奉納し「祇園精舎の図」を描いて持ち帰ったと伝えられています。水戸彰考館(現在の徳川ミュージアム)にそれと思わしきものが所蔵されています。
●戦乱から世界遺産に。そして世界の観光地に
その後にカンボジアはフランスの保護領となり、フランス人を交えてアンコール遺跡の研究が進められました。カンボジアの独立と内戦のさなかにはアンコール遺跡群が陣地になったこともあり、アンコールに至る道は寸断され、地雷がばらまかれ、アンコール・ワットにも銃弾が撃ち込まれ、貴重な遺物のいくつかは失われてしまいました。
1992年に世界遺産として登録される際に、各国の協力を経てアンコール・ワットは修復されてきました。そこには日本からの協力もありました。
そして現在、アンコール・ワットは世界中から観光客が訪れるカンボジア一番の名所となっています。
アンコール・ワットはカンボジアの歴史の証人です。これからもカンボジアの発展と繁栄の証人として見届けてもらうために、その姿を未来に残していきたいですね。
