カンボジア料理 神楽坂 バイヨン

カンボジアの歴史はアンコール・ワットの歴史?

 チュムリアップ・スオ!こんにちは。
 前回のカンボジアの遺跡「バイヨン」についての記事はご覧いただけたでしょうか?今回はカンボジアの象徴「アンコール・ワット」についてご紹介いたします。

●アンコール・ワットの建造者、スーリヤヴァルマン2世

 9世紀ごろにジャヤーヴァルマン2世という王があらわれます。彼は現在のカンボジアでも人口の九割を占めるクメール民族の出身で、802年ごろにアンコール朝を開きます。そんなアンコール朝の王たちがつくりあげたのが数々のアンコール建築群です。
    
 アンコール朝は古代カンボジアの最盛期とも言える時代で、素晴らしい国力を誇っていました。「バライ」と呼ばれる貯水池や水利網をつくったことで、農業生産が増大して人口が増加、領土も拡大していきました。そうして得た富を利用してアンコール・ワットをはじめとする建築群をつくり上げていったのです。
    
 アンコール・ワットが建造されたのは1113年~1165年ごろだと言われています。当時の王、スーリヤヴァルマン2世がヒンドゥー教寺院として建造を命じましたが、30年もの時間をかけたにもかかわらず未完成部分があったようです。

●アンコール朝のその後 ~忘れ去られたアンコール・ワット~

 その後、王が替わってもアンコール・ワットの建設は続けられました。また途中からヒンドゥー教寺院ではなく、仏教寺院に変更されたりもしました。
    
 現在のカンボジアは仏教が主流ですが、1世紀ごろには「海のシルクロード」と呼ばれる海路でインドからやってきた人が多く、インドの神々を奉ずるヒンドゥー教が主流でした。
またヒンドゥー教から仏教への移行期には、二つの宗教が混在したこともありました。
     
 14世紀後半にはアンコール朝は衰退。アンコール・ワットもシャム(タイ)からの攻撃により、放棄せざるをえなくなり、忘れ去られてしまいます。
    
しかし、16世紀ごろに再び発見され、当時の王アン・チャン1世により補修や改築がなされました。

●意外。日本人とアンコール・ワットのつながり

 17世紀ごろにアンコール・ワットの話を聞いて参拝に訪れた人びとがいました。なんと日本人です。彼らはインドにある仏教の聖地(祇園精舎)と勘違いしていたようです。
      
 この地に来た証として、寺院に墨文字で書き置きを残していきました(今はやってはいけません!)。14か所も発見されているとのことです。
    
 もっとも有名なのが平戸藩の森本一房が1632年に残したものです。訪れた経緯や仏像を奉納したことなどが墨書きで残されています。
     
 また「祇園精舎図」としてアンコール・ワットの図面が水戸市の徳川ミュージアムに所蔵されています。3代将軍の徳川家光(1623~1651年)の命によって長崎通詞(通訳者)の島野兼了がこの地を訪れて描いたものとされています。しかしもう一説として、前述の森本一房によるものとも言われています。
     
 このように多くの日本人が訪れたのも、当時の朱印船貿易などによってカンボジアをはじめ東南アジア各地に日本人が渡っていたことによるものでした。

●アンコール・ワットの「発見」~探検家アンリ・ムオの功績~

 アンコール・ワットの名を世界に知らしめた人物がいます。彼の名はアンリ・ムオ、フランス人です。
    
 彼は1858年から東南アジア各地に旅に行きます。そして1860年にアンコール・ワットを訪問し、その威容を手記と写生画で書き残しました。アンリ・ムオは残念ながら旅の途中で熱病にかかって亡くなりました。しかし書き残された手記と写生画は西欧に持ち帰られ「世紀の発見」としてもてはやされました。
   
 実のところアンコール・ワットの外国人による「発見」は先ほどの森本一房をはじめとして何度も行われていました。
    
 アンリ・ムオの2年前に同じくフランス人のブイユヴォー神父もアンコール・ワットの存在を報告しています(話題にこそならなかったですが)。また、16世紀にはポルトガル人修道士も訪れており、西欧人としては最初の訪問者だといわれています。
    
 しかし、西欧でここまでの注目を受けたのは、手記を残したアンリ・ムオの功績であると考えても良いかと思います。彼が描いたアンコール・ワットはまさしくアンコール時代の威光を見事に描き表しています。

(ウィキペディア「アンリ・ムーオ」より)
●戦乱から世界遺産に。そして世界の観光地に

 その後にカンボジアはフランスの保護領となり、フランス人を交えてアンコール遺跡の研究が進められました。カンボジアの独立と内戦のさなかにはアンコール遺跡群が陣地になったこともありました。
     
 アンコールに至る道は寸断され、地雷がばらまかれ、アンコール・ワットにも銃弾が撃ち込まれ、貴重な遺物のいくつかは失われてしまいました。
   
 1992年に世界遺産として登録される際に、各国が協力してアンコール・ワットを修復しました。そこには日本からの協力もありました。
     
 そして現在、アンコール・ワットは世界中から観光客が訪れるカンボジア一番の名所となっています。
   
 アンコール・ワットはカンボジアの歴史の証人です。これからもカンボジアの発展と繁栄の証人として見届けてもらうために、その姿を未来に残していきたいですね。

<参考文献>
中尾芳治『アンコール・ワットに墨書きを残した森本右近太夫一房の父・森本儀太夫の墓をめぐって』(PDF)京都府埋蔵文化財論集第6集 2010
石澤良昭『アンコール・王たちの物語 碑文・発掘成果から読み解く』NHK出版 2005
地球の歩き方編集室『D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2020~2021』学研プラス 2019
アンリ・ムオ/大岩誠訳『インドシナ王国遍歴記アンコール・ワット発見』中央公論新社 2002
石沢良昭『アンコール・ワット』講談社現代新書 1996

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