カンボジア料理 神楽坂 バイヨン

カレー三千世界

吸収と変化をし続けるカレーの世界

 本日のテーマはカレーです。世界を股にかけ、日本人も大好き。もちろんバイヨンにもカンボジアのカレーをご用意しております。 カレーはインドを起源に、それらを広めたイギリスを経て、世界に広まっている料理です。スパイスを使うことに変わりはありませんが、地域それぞれのレシピがあります。

カンボジアのソムロー・カリー

 さて、我がカンボジアのカレーですが、その一番の特徴は辛くないことです。

 なぜならカンボジアの国民はあまり辛い料理を好まないからです。実は当バイヨンのカレーは、カンボジアのものよりずっと辛くしてあるのですが、お客さまに感想をお聞きしたところ、そのほとんどが「思ったほどの辛さではない」とお答えいただきました。その数なんと50人中47人!少し驚きました。

 理由としてはココナッツミルクのまろやかさと、カンボジアで使われるスパイスペーストのクルーンの存在でしょう。レモングラスやしょうが、シナモン、ナツメグなどを混ぜ合わせ、独特の風味と香りがあり、カンボジアの料理によく使われます。ですがこのクルーン、辛いスパイスは基本的に入っていません。

 またカンボジアのカレーはスープタイプが主流です。「ソムロー・カリー」と言うのが正式な名前ですが、「ソムロー」と言うのは「スープ」の意味で、日本のカレーのようなトロみは控え目で、すっと飲めてしまうぐらいです。マイルドな口当たりにマッチしたスパイスの風味を楽しめます。

日本のカレーへの偏愛

 日本人は不思議なくらいカレー好きです。海外から入ってきた、日本料理とは似ても似つかぬこの料理をなぜこんなにも愛しているのでしょうか。

 日本とカレーの歴史の始まりは英国風カレーとの出会いです。イギリスですでに普及していたカレーは日本人に「西洋料理」として認識され文明開化の波と共にやってきました。

 海軍で脚気(かっけ)対策や肉食に慣れてもらうために取り入れられ、また大正時代あたりから一般市民にも普及し、食堂や家庭でも食べられるようになりました。

 1952年に日本で初めて固形のカレールーがつくられ、ルーで作るカレーが普及しました。また1968年にはレトルトパックのカレーも作られました。学校での給食にもカレーが出るようになり子どもたちにも人気です。

 カレーは日本の開国とともに「西洋料理」として入ってきました。それらは日本に浸透するにあたって変化し、今日「洋食」と呼ばれる一種の「日本料理」なっていきました。明治の時代から今日至るまでカレーは日本人にとっての大切な隣人としてそばにあり続けたのです。

 現在ではそのカレーにさらなるアレンジを加えて差別化を図っています。揚げパンに入れてカレーパンにしたり、麺類と組み合わせて、カレーうどん、カレーそば、カレースパゲッティなどなど。またカレーに使われるスパイスにこだわりを追及するスパイスカレー。ご当地の食材や好みを取り入れたご当地カレー。もちろん海外のカレーも大人気です。

 日本人のカレー追求は道半ばにあるようです。

東南アジアのカレー事情

 ベトナムのカレーはカンボジアに似ています。ココナッツミルクを使い、まろやかで辛味の強くないカレーとなっています。19世紀ごろ、カンボジアも含めフランス領インドシナとして組み入れられたため、その影響を強く受けていると思われます。

 東南アジアのカレーで一番有名なのはタイのグリーンカレーでしょう。あの独特の緑色は食材由来のものです。タイのカレーは他にもレッドカレーとイエローカレーがあり、こちらも食材から出る色によって名付けられました。

 しかしこれらをカレーと呼ぶのは主に外国人で、タイではゲーンという名前で通っています。ゲーンとは香辛料を使ったスープ料理のことを指します。これが昔からの呼び名であり、カレーという言葉はタイには元々ありません。

カレーとは何か?

 カレーの発祥はインドということになっています。しかしインドにも元々カレーという名前の料理はなく、カレーの元となったインド料理や言語にも諸説があり、定かではありません。しかし、ヨーロッパでカレーついて記述している現状最古の文献があり、それには以下のように書かれています。

 インドで植物や香料の研究をしていたポルトガル人の医師ガルシア・ダ・オルタは、1563年に出版した著書『インド薬草・薬物対話集』の中で「インド人が“カリール”という料理をつくる」という記しています。これが、ヨーロッパの文献に登場する最初の「カレー」です。

 オランダ人の旅行家ヤン・ホイフェン・ヴァン・リンスホーテンは、1595~96年に出版された『東方案内記』の中にカレーのことを書き残しました。「魚はたいていスープで煮込み、米飯にかけて食べる。この煮込み汁をカリール(caril)という」と説明。

 イギリス人の医師ロバート・ノックスは、17世紀に発表した『セイロン島誌』で、「彼ら(現地人)は果実を煮て、ポルトガル語で言うカレーをつくる。これは何かご飯と一緒にして、かけて食べるためのものである」と書きました。

                                 井上岳久『カレーの世界史』p72より引用

 カリール、またはカレーのつづりに関して、当時はまだ表記のゆれがあり、現在のカレー(curry)のつづりに変化したのは1747年英国の料理本『明解簡易料理法』からです。しかしロバート・ノックスの記述を見るにインドで自分が見た料理のことをガルシア・ダ・オルタが見たカリール、つまりカレーだと思っていたことは確かなようです。

 17世紀ごろのインドではイギリスの東インド会社をはじめとするヨーロッパ勢力が接触を始め、18世紀ごろにはイギリスによる支配が強まっていきました。

 このころからイギリスをはじめとするヨーロッパ人がインドに居留して、その習俗に触れ、食事も現地の文化の影響を受けました。しかし、先ほど述べた文献の影響もあってか、カレーとして認識してしまったインド料理が数多くあるようです。

 こうしてインドにいた人たちがヨーロッパに帰った時にカレーを食べるためにスパイスの混合粉末を持ち込んだことがカレー粉の始まりと言われています。そして後年、イギリスのC&B(クロス・アンド・ブラックウェル)社がカレー粉を製品化(正式な発売年は不明)。また、先ほど紹介した『明解簡易料理法』を始めとする料理のレシピの本にもインド料理の作り方が掲載され、カレーはイギリスを中心に広まっていきました。もちろん日本もその一つです。

 しかしながら、ヨーロッパの人々が作り上げてしまったインドのカレーという概念は勘違いによってできたものです。

 実際、インドには外国人がカレーだと思うような料理はいくつもあり、それにはちゃんと別の名前が付いています。いったいどれがカレーのオリジナルとなったものであったかは定かでありません。場合によってはそれらすべてがオリジナルということすらありうるのです。

 ただ、その内にインドの人たちの間でもカレーという言葉が広がり、それを受け入れて、ゲーン同様説明するのが難しい時に便宜的にカレーと言うことがあるようです。

 インド独立運動家で、日本に亡命したラース・ビハーリー・ボースは日本インドカレーの父と言われています。彼は「新宿中村屋」創業者の相馬夫妻の下にかくまわれた際にカレーをふるまいました。また、新宿中村屋で喫茶店を営業する際にインド式のカレーを出すことを提案し、今もなお人気の商品となっている「純印度式カリーライス」を作り上げました。彼は当時の日本のカレーをインドのカレーとは違うとしましたが、「カレーという呼称は間違っている」とはしませんでした。

 存在や定義があやふやなままカレーという料理は広まり、親しまれ、その概念が広まっていくにつれて、カレーに似た料理がカレーに分類されてしまうという現象が起きてしまっているようです。

 ですが、逆に考えればそれがある種のカレーというものの魅力なのかもしれません。その境目のゆるさ、定義のゆるさが国境すらも超えてカレー世界を無限に広げているとも考えられます。

 カレーの本当のことは誰にもわかりませんが、今日も今日とてカレーは食べられています。

参考文献
井上岳久『カレーの世界史』 SBビジュアル新書 2020年
森枝卓士『カレーライスと日本人』 講談社学術文庫 2016年
コリーン・テイラー・セン(著作)竹田円(翻訳)『カレーの歴史』 原書房 2013年
旅行人編集部『アジア・カレー大全』 旅行人 2007年
リジー・コリンガム(著作)東郷えりか(翻訳)『インドカレー伝』 河出書房新社 2006年

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