カンボジア料理 神楽坂 バイヨン

魚と米とカンボジアチャーハン

 チャーハンという料理は、お米を食べられる地域であればどこでもつくることができます。ではチャーハンはお米を食べられる地域ならどこでもつくられる料理かといえばそうではありません。
   
 世界各国にはその土地ならではの別のお米を使った料理があります。チャーハンも食べられていないわけではないですが、ピラフやパエリア、リゾットといった強力なライバル達がいるようです。
    
 チャーハンは発祥の国である中国以外にも、特に東南アジアで人気です。チャーハンというレシピとその味付けに使うタイのナンプラー、ベトナムのニョクマム、カンボジアのトゥック・トレイといった、魚醤、つまり魚由来の調味料との相性が人気の秘密なのではないかと思っています。
  
 お米と魚が東南アジア人々の心を掴んで離さないのでしょう。
 今日はそんなチャーハンとお米についてのお話です。

世界に羽ばたくお米たち

 チャーハンと言えばお米。お米と言えばアジアの主食です。

 カンボジアの主食もお米です。東南アジア全体でも主食と言えばお米です。日本も韓国も同じくお米です。

 中国やインドもお米です。と言いたいところですが、中国は麺類、インドはナンなど小麦を主食とする地域があります。

 中央アジア、西アジアもお米です。と言いたかったのですが、パンなどの小麦の方が多いようです。お米はアジアの主食と強気に出ましたが、結構、他の食べ物が主食の地域が多いようです…。

 しかしパンを主食とすることが多いヨーロッパにおいても、イタリアやスペインではお米も食べます。リゾットとパエリアはその代表格でしょう。中央アジア、西アジアにおいてもピラフがよく食べられています。

 主食とはいかなくてもお米は世界中で食べられています。

 そんなお米を食べる文化、すなわち稲作の起源は中国と言われています。農学研究者の佐藤洋一郎さんの書籍には以下のように書かれています。

 世界最古の稲作遺跡群は浙江省一帯と湖南省一帯にある。浙江省の余姚(よよう)市には河姆渡(かぼと)遺跡をはじめとして七〇〇〇年をさかのぼる遺跡が複数あって、考古学的な研究も進んでいる。とくに、河姆渡遺跡は一九七三年の発見以来、最古の稲作遺跡として常に注目を集めてきた遺跡である。

(佐藤洋一郎 『稲と米の民族誌 アジアの稲作景観を歩く』NHK出版 2016年 p244)

 現状では稲作を確実に行っていたという証拠に関しては、この7000年前の河姆渡遺跡群が最古のものだそうです。お米を食べる文化の始まりは恐らくこの辺りから始まったのでしょう。

 それらお米を食べる文化が今日に至るまで世界各国に広がり、様々な品種のお米とお米の料理を生み出してきました。チャーハンもその一つです。

 日本でお米と言えばジャポニカ米でしょう。しかし世界全体で生産量が多いのはインディカ米という種類です。ジャポニカ米が楕円形なのに対して、インディカ米は細長い形状が特徴の種類です(どちらも一部例外はあります)。

 皆さんはインディカ米を食べたことがあるでしょうか?食べた人の中にはあまりおいしくないと思った方もいるのではないでしょうか?

 記録的な冷夏によって日本で米が不作になり米不足に陥った「1993年の米騒動」。この際に日本はインディカ米の一種をタイから緊急に輸入し、それらはタイ米と呼ばれ、有名になりました。しかしタイ米は日本人の好みには合わず、あまり食べられなかったようです。当時を知る人からすればタイ米のような細長いインディカ米は嫌われてすらいるかもしれません。

 また、インディカ米は日本人からすると少しパサついた感じがすると言われています。しかし、そういった点は、日本人の好きなパラパラとしたチャーハンを作るのにも最適で、ピラフとも相性が良いので、個人的にはタイ米をはじめとするインディカ米にもう一度チャンスをいただきたいと思っています。

当店の人気トップ3!レモングラスチャーハン!

 先ほど、インディカ米の話をしておいて恐縮ですが、当バイヨンで使用しているお米はすべてジャポニカ米です。ですがジャポニカ米で作るチャーハンもなかなかのものです。

 バイヨンのチャーハンはレモングラスチャーハン(バーイ・チャー)というものです。

 レモングラスはハーブの一種でレモンと同じ成分を持っているためレモンのような香りがします。

 味の決め手はトゥック・トレイです。カンボジア語で「魚(トレイ)の水(トゥック)」という意味があります。いわゆる魚醤(ぎょしょう)、または魚醤油(うおしょうゆ)です。

 秋田名物の塩魚汁(しょっつる)、タイのナンプラーにも近いものです。カンボジアの様々な料理の味付けに使われます。もちろん、このレモングラスチャーハンにも使われています。

 濃厚な魚のうま味のチャーハンにレモングラスのさわやかさがマッチしています。

 チャー・クダウ(豚肉ハーブ炒め)、パパイヤサラダ(ニョアム・ルホン)、そしてこのレモングラスチャーハンは当店の人気トップ3となっています。ぜひお試しください。

米の祖国、チャーハンの祖国

 チャーハンの祖国もお米と同様に中国です。チャーハンを初めとする中国が生んだ中華料理は世界を股にかける料理の一大カテゴリーです。しかし中華料理と一口に言っても色々と種類があり、北京料理、四川料理、上海料理、広東料理など、主に地域によって区別されます。

 中国のチャーハンの中で最も有名なのが「揚州炒飯」です。チャーハン自体は中国の様々な地方で食べられています。ですが、揚州は中国においても特に食文化の華やかな地で、チャーハン生誕の地という伝説もあり「揚州炒飯」の名は中国のチャーハンの中でも別格です。

 揚州で生まれたとされるチャーハンの伝説に2007年の雑誌『サライ』にこのような記事があります。

 隋(581~619)の時代に現在の北京地方まで運河が開かれ、揚州は江南の物資を北方へ運ぶ要衝として栄えた。その海運業を支えた船乗りたちが飢えを凌ぎ手頃に食べられるものをと作られたのが、卵と飯を一緒に炒めた料理だった。隋の謝諷が著した料理書『食経』には「砕金飯」と記されている。これは“金のかけらのような飯”という意味で、卵炒飯の原形と考えられている。

 国際的な中国料理研究家で、東京・三田の『華都飯店』を経営する馬遅伯昌さん(88歳)は話す。

 「私が聞いた逸話ではこうです。清王朝の乾隆帝(1711~1799)が南方の巡察に出向いたときに、揚州の農村で食事を所望。しかし残りご飯しかなく、これを卵と炒めて差し出した。その後、北京の宮廷に戻った乾隆帝がこの炒飯を懐かしがり、料理人に作らせたということです。もちろん料理人が作った炒飯は卵だけではなく、肉や魚などの具材を入れたものだとおもいますね」

(『サライ 2月1日号 Vol.19  No.3』2007年 p98)

 中国でもチャーハンは愛されています。しかし、隋の船乗りの話や乾隆帝の話から、中国においてチャーハンは簡素な料理という側面が強いように見受けられます。

 現在の中国でもチャーハンは、家庭の残り物でよく作られており、趣向を凝らした本格な中華料理というよりは大衆的な料理です。 中華料理の中でも中心的な存在というわけではないようです。

日本のチャーハンと横浜中華街

 一方で日本は本家の中国から不思議と思われるほどにチャーハンにお熱です。

 日本のチャーハンのはじまりは横浜中華街と密接な関係があります。

 江戸時代末期の1853年(嘉永6年)にアメリカの東インド艦隊のペリーが浦賀に来航し、日米和親条約を結びました。またその後の、1858年(安政5年)に日米修好通商条約が結ばれ、その結果、横浜や神戸などが開港されました。

 それまでオランダ以外の欧米諸国との国交を断ってきた日本がこの条約を機に欧米との交流を始めます。

 開国とともに西洋人との付き合いがはじまりましたが、その西洋人たちは中国人も日本に連れてきていました。彼ら中国人は「買弁(ばいべん)」と呼ばれ、日本人とは漢字で交渉できることから通訳や現地での世話人を任せられていました。

 中国人はその後も増え、多くの中国人が横浜で暮らすようになりました。彼らの住まいとともに飲食店、小売店などの街並みが横浜の一角に生まれました。これが現在の横浜中華街です。

 横浜に来た中国人は広東省の出身者が多かったようですが、揚州炒飯の本場、浙江省や上海あたりからもやってきているはずです。日本におけるチャーハンの広がりはおそらくここからはじまったのだと思われます。

 しかし、隋王朝のころにはじまったチャーハンが、幕末まで日本には伝わらなかったのでしょうか。

 7世紀ごろから9世紀にかけて、遣隋使、遣唐使という形で中国との交流も盛んでした。鑑真和尚や仏教の経典以外にもたくさんのものが日本にやってきています。もしかしたらチャーハンも……。

 ということで調べてみると、934年(承平4年)ごろできた『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』のなかに「油飯(あぶらいい)」という言葉があります。

 この書物は漢和辞典のようなもので、中国の言葉を万葉仮名で解説をしているものです。その解説には「油飯 麻油炊飯也」とあります。つまり胡麻油を入れて炊いた飯のことです。チャーハンというよりもピラフに近いものかもしれません。

 しかし、このあと日本でこの調理法が広まったという話は聞いていません。どうやら知識だけが伝わったということのようです。

 ということで、日本のチャーハンは横浜中華街からはじまったと言っていいと思います。中国人が食べるチャーハンは、だんだんと日本人にも広まっていったようで、特に食べられるようになったのは戦後です。中国で中華料理の味やつくり方を覚えた人たちが日本に帰ってきてからです。やがてチャーハンはレシピ本などで盛んに紹介されるようになりました。

 さらに高度成長時代を経て、1980年ごろからグルメブームが始まり、この波の中でチャーハンは人気のメニューとなりました。マンガ『美味しんぼ』などでも取り上げられ「卵でコーティングしてパラパラな仕上がりに」といった現在でも理想とされるチャーハン像が作られ、日本人はチャーハンに熱狂しだしました。

東南アジアのチャーハンの共通点

 突然ですが世界で米の消費量が一番多い国はどこでしょうか?

 答えはバングラデシュです。その消費量は一日で470g。お茶わん一杯分のご飯になるお米(生米)を68gと換算して約7杯分です。では2位はどこでしょうか?実は2位は二つあってラオスとカンボジアなのです。一日436gも食べます。こちらもお茶碗6杯分位ですね。その次の4位にはベトナムがランクインします。こちらは396gです。その他の東南アジア各国も一日の米の消費量ランキングでトップに近く、総合的に言えば東南アジアは世界で一番お米を消費しています。ちなみに日本は32位です。その量164gで、お茶碗2杯半といったところでしょうか*。

 ということで、東南アジアは世界で一番のお米好きです。しかも中国との交流もあります。そんな東南アジアでチャーハンが無いはずがありません。

 ということで、いくつかの東南アジアのチャーハンを食べてみました。それぞれの外国に行くことまではできないので、東京にあるタイ、ベトナム、ミャンマー、インドネシア、それぞれの国の料理を専門に扱うお店に行ってみました。

 タイのチャーハンはやはり辛味を感じました。タイの人は辛さや酸っぱさ、塩気や甘みがミックスした料理を好むと言われています。このチャーハンも例にもれず色々な味がミックスされた上に、パクチーもトッピングされており、タイらしさ溢れるおいしさでした。

 ベトナムのチャーハンはどちらかと言えば、我々が普段食べているチャーハンに近く、食べやすく美味しいチャーハンでした。ベトナムと中国は国土も接していて、付き合いも長いので、日本同様に中国のチャーハンがそのまま伝わってきたのではないかと推測しています。

 ミャンマーには様々な民族が生活していて、料理もその民族それぞれのものがあります。ミャンマー料理店で食べたのはフライドエッグが上に乗った納豆チャーハンでした。こちらも味付けは我々の知る中国のチャーハンの影響が大きいように思われました。納豆の味は主張しすぎずチャーハンとうまく調和しており、フライドエッグもちょうど良く半熟でチャーハンとからめて食べると最高です。

 インドネシアのチャーハンということで私が食べたナシゴレンは、海老やフライドオニオンがメインでお肉は入っていませんでした。またインドネシアのおせんべい、クルプックと、こちらにもフライドエッグが乗っていました。推測ですが、インドネシアも多民族国家で様々な民族がいることと、イスラム教徒が多いことから(お店にもイスラム教徒の方が来店されていました)食のタブーに気を使って調理されていたのだと思います。しかし味は大変良く、肉が無いことに気付かないぐらいでした。

 東南アジア各国のチャーハン食べて、日本のチャーハンと比べた時にやはり味の違いとして独特な魚のうま味を感じました。私はやはり、それらをトゥック・トレイのような魚醤の味だと考えています。

 東南アジア料理の味付けには往々にして魚醤が使われています。カンボジアなら、トゥック・トレイ、タイならナンプラー、ベトナムならニョクマム、ミャンマーだとンガピャーイェー、インドネシアだとケチャップ・イカンという名前がそれぞれに付いています。

 魚醬の風味は、ある種の東南アジア料理らしさをよくかもし出してくれます。

*米の消費量の出典:FAO〈国際連合食糧農業機関〉HP

西のチャーハン?ピラフ

 東アジア、東南アジアなどの中国の影響が強かった国々ではそれぞれの国のチャーハンを見かけます。しかし中央アジア、西アジア及びそれよりさらに西のヨーロッパではチャーハンはあまり見当たらず、ピラフがメインとなってきます。

 ピラフはチャーハンに似ていますが、つくり方は違います。ご飯と具材を一緒に炊き込むため、後から炒める工程がありません。

 ピラフのつくり方に関しても様々な方法があり、国や人によってそれぞれの理論でピラフのレシピを編み出しているようです。

 またピラフという名称ですが、語源は定かではなく、ウズベキスタンでは「プロフ」、イランでは「ポロ」、トルコでは「ピラウ」と呼ばれ、その他にも、国や言語、レシピなどによって色々な呼ばれ方をされています。

 西アジア及び、中央アジアがピラフ発祥の地と言われていますが、詳しいことはわかっていません。

 インドにもピラフはありますが、ビリヤニというインド独自のものもあります。こちらもまた作り方には、様々な理論と方法があります。

 スペイン料理のパエリアはどことなくピラフの面影があるような気がします。しかし同じくヨーロッパのイタリア料理、リゾットはピラフの仲間と言えば仲間かもしれませんが、その姿はどこか、お粥を想起させます。

 厳密に考えれば「ピラフ」という名前ではそれぞれをひとくくりにできず、どれもが違った米料理と言えるかもしれません。

 中央アジア、西アジア、及びヨーロッパではパンを始めとした麦を食べることが多いと思われます。しかし、なぜこのようにピラフ、及びピラフに似た料理がこの地域において一国に止まらずここまで多くの国々で食べられるようになったのでしょうか。

イスラム世界とピラフ

 ピラフの発祥については定かではありません。しかし、アレキサンダー大王の東征がピラフを様々な地域に広めたという伝説もあります。

 ピラフについての最古の記述はアッバース朝時代の学者イブン・スィーナーの著書にあります。アッバース朝は西暦750年から1258年まで続いたイスラム王朝で、この時代の中央アジア、西アジア、北アフリカを支配していました。

 このアッバース朝時代はイスラムの繁栄の時代でした。非常に広大な領土を持ち、シルクロードを使って様々な地域と貿易や交流を行い、巨大イスラム文化圏を形成しました。

 少なくともこの時代には文献や人々を通じて、ピラフは幅広く知れ渡っていったと思います。

 アッバース朝と言えば、唐王朝時代の中国と領土が接しており、戦争になったこともあります。その戦いは現在のキルギスのタラス地方で行われたため「タラス河畔の戦い」と呼ばれています。

 この戦争によってアッバース朝は唐の軍勢を撃退し、大量の捕虜を得ました。その中に、当時中国独自の技術であった製紙法を知る人物がいたため、紙がアッバース朝で広く用いられるようなったと言われています。

 もしかすると、チャーハンの製法もその時にイスラム文化圏に伝わって、それがピラフの原形になったということはないでしょうか?もちろんこの説は私の想像です。

 ですが、日本でのチャーハンの広がり同様に、人の移動、そしてその移動してきた人が運んできた習慣や文化が食文化の広がりと密接な影響があると私は考えます。

ピラフの地とチャーハンの地―その味付けの違い―

 ピラフもチャーハンもどこか似通った部分がありながら、片や中央アジアより西に、片や東に広まっていきました。それらを分けた要因は、伝統、文化、食材、調理器具、調理方法、気候や土地、など、色々なものが考えられます。

 ただ、ピラフという料理には西アジアや中央アジアの特色がでて、チャーハンという料理には東アジア、東南アジアの特色がでている。そう私は考えています。

 チャーハンやピラフを作るためのお米、つまり稲を育てるには大量の水が必要となります。その水が豊富な土地というのは川や海や湖に近くなりがちです。アッバース朝が支配した、中央アジア、西アジアは川や海といった水との縁が少なく、稲より乾燥に強い麦が育てやすくなります。パンが食べられる理由の一つでしょう。

 そうなってくると、川や海にいる魚を食べるよりも地上にいる動物を食べることが多くなるのでしょう。

 一方、水場に近い土地で生活していると、魚のエサとなる水中の微生物たちが陸上からもたらされる栄養分で生育されることがあり、それを狙って魚が寄ってきます。なので水の豊富な地域は米を作りやすいのと同時に魚との結びつきが強くなりがちです。

 気候的な条件のため肉と麦をよく食べる地域と、魚と米をよく食べる地域とで分かれ、そして肉と麦の地域にピラフが根付き、魚と米の地域にチャーハンが根付きました。

 つまりチャーハンのおいしさの特色を一つ上げるとすれば、それはピラフにはあまり見られない魚の力を使っているという点ではないかと思うのです。

 逆にピラフは肉の味わいを中心に据えた料理なのではないでしょうか。

 チャーハンは東アジア、東南アジアを中心に広まっていきましたが、それは単純に中国との関係性が深いというだけでなく、東アジア、東南アジアの人々がそういった魚と米とのマッチングを好んだというのも一因ではないでしょうか。

 そういう意味では東南アジアのチャーハン、ひいてはカンボジアのチャーハンはきっと日本の皆さまの口に合うと思っています。

参考文献                                                                 

石毛直道 ケネス・ラドル『魚醤とナレズシの研究』岩波書店 1990年

佐藤洋一郎 編 『食の文化フォーラム26 米と魚』ドメス出版 2008年

石毛直道 編 『論集東アジアの食事文化』平凡社 1985年

荻野恭子 『世界の米料理 世界20カ国に受け継がれる、伝統的な家庭料理』誠文堂新光社 2015年

田中静一『一衣帯水-中国料理伝来史』柴田書店 1987年

藏中進『『倭名類聚抄』所引『楊氏漢語抄』』東洋研究第145号大東文化大学東洋研究所 2002年

佐藤洋一郎『知ろう 食べよう 世界の米』岩波ジュニア新書 2012年

石毛直道監修『人類の食文化 (講座 食の文化)』味の素文化センター 1998年

西川武臣/伊藤泉美『開国日本と横浜中華街』大修館書店 2002年

土屋敦『男のチャーハン道』日本経済新聞出版 2018年

譚璐美『中華料理四千年』文春新書 2004年

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