夏の暑さも遠く過ぎ去り、秋も深まってきました。秋の行事と言えば、お月見。ススキと月見団子はこの時期のイメージとしてよく使われていますね。
カンボジアでも秋になると「水祭り」が開催されます。これはカンボジアで1番の盛り上がりを見せる1年に1度のビッグイベントです。
このお祭り1番の見どころが川でのボートレースです。数十人が乗る細長い手漕ぎボートを使って、カンボジアの最速のチームを決めます。
この催しの始まりはカンボジア水軍の勝利を祝福するためのものでした。しかしカンボジアにとって川は国家としても一般市民としても欠かせないものであり、川の守り神である女神へのあらゆる感謝を込めてこのお祭りは行われるようになりました。
3日続く秋のお祭り
水祭りは11月ごろに3日間で行われる秋のお祭りで、そのメインイベントは各地で行われるボートレースです。この時期にカンボジアは雨季(※1)が終わって川の水位が最大限に増します。それを利用してボートレースを行います。
この11月という時期は農繁期の終わりでもあり、水祭りは農業や漁業には欠かせない水を与えてくれた水の神に感謝するお祭りでもあります。この水の神とは、ヒンドゥー教の川の女神、ガンガー(※2)とも、カンボジアの川の女神、プレアメーコンケア(※3)とも言われています。
ボートで戦ったカンボジア水軍
このボートレースの催しが始まったのは今からおよそ800年前。ジャヤーヴァルマン7世(※4)の時代からだと言われています。当時、隣国にあったチャム王国(※5)との戦勝を祝して、また戦争において活躍した水軍を称えたものといわれています。
また、およそ500年前の王、アン・チャン1世(※6)の時代にも戦があり、それに無事勝利したとき、川の女神への感謝を込めて灯篭を流したと言い伝えられています。
この灯篭流しはお祭りのイベントの一つです。夜に執り行われ、川は数多くの灯篭によって彩られ、幻想的な光景を映し出します。
カンボジアと世界のボートレース
このボートレースは三日間のお祭りの初日と最終日に行われます。初日の予選を勝ち抜いたチームが最終日の本選に出場できます。
競技に使うボートは20人から30人前後のショートボートから、最大のものならで70人近くの大人数が乗れるロングボートまで、いくつかの種類があります。
ボートは細長い手漕ぎ式のもので、基本的に直線距離でのスピードを競います。
日本の長崎のペーロン(白竜)祭りや、沖縄の爬竜船(ハーリーブニ)のお祭りに近いものを想像していただけるとわかりやすいかと思います。
また、中国の旧暦の端午の節句に行われるドラゴンボートというものとも似ています。これは中国の戦国時代の詩人・政治家、屈原が入水した際に、漁民がドラゴンボートを使って助けようとした伝説から来ているようです。
こういった類のボートレースをドラゴンボートと呼んで、競技として世界的に行われています。水祭りのボートレースは、かなり人数が多く、中国に由来するドラゴンボートに含まれるのかはわかりません。
しかしカンボジアには「カンボジカ プッタ ケマラ タレイ」という世界最大のドラゴンボートがあり、これはギネス記録として登録されています。ボートの全長は 87.3メートル。幅は1.99メートル。最大で179人まで乗ることができます。
カンボジアでも秋はお月見
この水祭りの2日目にはボートレースは行われません。この2日目は、日本のお月見のような月への感謝祭が行われます。カンボジアでも日本と同じように「月のウサギ」の伝説があります。月の模様がウサギに見えるというのもありますが、仏教の伝説に出てくるウサギとも結びつけられています(※7)。
カンボジアではそんな月をオンボックというお菓子とともに拝みます。これは収穫したてのお米を煎ってつぶしたものです。お月見の時のお団子のようなものですね。
また、他にもヒンドゥー教の稲妻の神インドラ(※8)も祀(まつ)られています。インド神話によると、雨が降らない原因は邪悪な蛇ヴリトラ(※9)が雨を止めてしまっているからだと言われています。それをインドラが打ち倒すことで雨が降るようになるとされていて、インドラもまた水にまつわる神として崇拝の対象となっています。
雨が降るのは稲妻のおかげという解釈ですね。
カンボジアと川のつながり
カンボジアにとって川の存在は重要です。川の水が農業や漁業にかかわるため、川の神は農業や漁業の守り神でもあります。また、川は戦争においても重要で、ボートを操るカンボジア水軍の力は国家繫栄のために欠かせないものでした。
水祭りの水とは川のことであり、川はカンボジアの命の源にして守り神と言っても過言ではありません。その守り神への感謝を込めて人々は祈りを捧げ、祭りの日を喜びます。
※1 カンボジアは6月~10月ごろは雨季となり雨が降りやすい時期。11月~5月ごろが乾季で雨が少なくなる。
※2 ガンガー:Ganga インドのガンジス川が神格化された女神。ガンジス川はヒンズー教徒にとっては聖なる川であり、信徒は沐浴することで功徳を得られる。
※3 プレアメーコンケア:Preah Mae Kongkea カンボジアの川の女神。カンボジアの人々や動物のために水を守り、川の恵みを与えてくれる。
※4 ジャヤーヴァルマン7世:1181年~1218年頃に在位。アンコール朝の最盛期の王でバイヨン寺院の建設にも着手した。
※5 チャム王国:現在のベトナム南部に存在したチャム人の王国。カンボジアとは領土を隣接していて、何度も戦争になった。
※6 アン・チャン1世:1516年~1566年頃に在位。当時のカンボジアはアンコール・ワットを戦争によって失ったが、アン・チャン1世が荒廃したアンコール・ワットの場所を再度突き止め、修復を行う。
※7 昔のインドの伝説。老人のためにウサギ、キツネ、サルの三匹が食べ物をとってくるが、ウサギだけどうしても食べ物を見つけることができなかったため、ウサギは自ら食べさせるために火の中に飛び込もうとした。神はそのウサギの心を讃えて月にその姿を永遠に残した。月の表面がウサギに見えるのはそのためだと言われている。日本の『今昔物語集』にもこの話が紹介されている。
※8 インドラ:Indra インドの神話に出てくる雷の神。仏教においては帝釈天の名で知られる。ヴリトラを打ち倒す英雄神としても語られる。
※9 ヴリトラ:Vritra インドの神話に出てくる蛇。邪悪な竜ともいわれ、水をため込んで、干ばつを引き起こすとされる。しかしインドラによって打ち倒されると、ため込んだ水を開放し雨を降らせ、大地を潤(うるお)す。
<参考文献>
Wikipedia「Bon Om Touk」
「The Phnom Penh Post」サイト
https://www.postkhmer.com/national/2022-11-07-0807-243195.html
https://www.phnompenhpost.com/lifestyle-arts-culture/eating-ambok-folktales-and-customs-water-festival
上田広美・岡田知子『カンボジアを知るための62章【第2版】』明石書店 2016
国東文麿『今昔物語集 天竺編 全現代語訳』講談社学術文庫 2019
中村元 監 松村恒・松田愼也 訳『ジャータカ全集』春秋社 2012
大林太良・伊藤清司・吉田敦彦・松村一男 編『世界神話事典』角川書店 1994
山北篤 監『東洋神名事典』株式会社新紀元社 2009