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無形文化遺産、古典舞踏「アプサラ」。天女の舞の歩んだ道

 カンボジアを代表する舞踏「アプサラ」。2003年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。カンボジアでご覧になった方もいると思います。この舞踏が世界に認められるようになるまでには苦難の道がありました。

カンボジアの誇るべき伝統文化、古典舞踏「アプサラ」

 アプサラとは天女のことです。インドの古い神話「ラーマ―ヤナ」では水の精として登場します。インドやヒンドゥー教とのつながりの強かった時代にカンボジアにやってきたようです。
    
 アプサラはカンボジアだけでなく、東南アジア各地や中国にも天女として伝わっています。静岡県の三保松原に伝わる羽衣伝説もこの天女とかかわりがあるかもしれません。
     
 カンボジアの代名詞でもあるアンコール・ワットの壁画には古代のアプサラの踊りが描かれています。しなやかな動き、優雅なしぐさ、そして穏やかなほほえみ。手と指の動きは、植物の芽吹き、葉、開花、結実、熟して落ちるまでの移り変わりを意味しています。
    
 アプサラの踊りは、カンボジアらしい控えめでありながらも内に秘めた力をあらわしています。
     
 ユネスコの世界文化遺産に登録されているアンコール・ワット。カンボジアの古典舞踊アプサラも、ユネスコのもう一つの文化事業である世界無形文化遺産に登録されています。カンボジアを代表する文化財です。しかし、ここに至るまでには多くの危機と苦難がありました。

消失してしまったカンボジアの舞踏

 カンボジアの舞踏はヒンドゥー教の神に捧げられるものとして6~7世紀ごろにはじまったようです。
    
 カンボジアでは西暦802年にジャヤーヴァルマン2世によってクメール王朝が成立しました。別名アンコール王朝。隆盛となった西暦1100年代ごろにスーリヤヴァルマン2世がヒンドゥー教の寺院としてアンコール・ワットを築きました。
    
 となりの国タイ(シャム)では1351年にアユタヤ王朝が成立。日本人の山田長政が武人として活躍したのでご存じの方も多いと思います。
   
 13世紀になってクメール王朝は弱体化。1431年にアユタヤ王朝に侵攻され、首都アンコール・トムが陥落しました。その際にカンボジア舞踏の多くの踊り手がタイに連れていかれてしまいました。これによってカンボジアの舞踏は一時的に消失することとなりました。

王妃コサマックによるカンボジア舞踏の再興

 19世紀に入って、アン・ドゥオン王(Ang Duong 1796~1860年)がタイからカンボジアに踊り手を連れて帰り、カンボジアの舞踏を復活させました。
    
 王は詩や文学などのカンボジア文化に深い造詣があり、さらに16歳から43歳まで27年間タイに滞在していたことから、これが実現しました。
     
 19世紀後半からカンボジアはフランス領インドシナ(1863~1954年)として長く植民地となりました。この時代に、古典舞踏は王室の力で宮廷舞踏として発展しました。
    
 元国王のノロドム・スラマリット王(Norodom Suramarit 1896~1960年)の王妃シソワット・コサマック(Sisowath Kossamak 1904~1975年)がアンコール・ワットの壁画を参考に踊りの型を修正、さらに衣装デザインも改めるなどして古典舞踏の発展に力を注ぎました。
    
 特にコサマック王妃が制作した「アプサラ・ダンス(天女の舞)」は、それまで一晩中踊るものを約1時間のものに仕立て直しました。発展・進化させた古典舞踏を外交の場でも披露し、カンボジア宮廷舞踏として世界に広めました。
    
 このころ彫刻「考える人」で有名なオーギュスト・ロダンもカンボジア古典舞踏に魅了されていました。150枚にもおよぶ水彩スケッチを残しています。フランスにやってきたカンボジアの舞踏に強く影響をうけたようです。

再び消失の危機とボッパー・デヴィ王女の活躍

 さらにコサマック王妃は、ノロドム・シハヌーク(Norodom Sihanouk 1922~2012年)前国王の長女であり、ノロドム・シハモニ(Norodom Sihamoni 1953年~)現国王の姉でもあるボッパー・デヴィ(Norodom Buppha Devi 1943~2019年)王女を5歳からアプサラのダンサーとして教育。王女は18歳でカンボジア王室バレー団のプリマベーラとなりました。
     
 1970年代のポル・ポト政権時代(1975–1979年)になると、内戦により90%と言われる踊り手が処刑されてしまいました。これによってカンボジア古典舞踏は再び消滅の危機を迎えました。
    
 内戦終結後の1991年、ボッパー・デヴィ王女は亡命先のフランスから帰国。亡命先でも古典舞踏のために活動を続けた王女は、生き残った踊り手を集めカンボジア古典舞踏の復興に力を注ぎました。 
    
 1998~2004年には文化芸術大臣も務めカンボジア古典舞踏を国を代表する文化として育てました。その成果は実り、2003年11月7日にユネスコの無形文化遺産に登録されました。
   
 いくたびもの危機をくぐり抜けたカンボジア古典舞踏は、現在カンボジアを代表する文化となって国内だけでなく海外の人びとにも親しまれています。

日本でも見られるカンボジア古典舞踏

 カンボジア舞踏教室「SAKARAK(サカラッ)」を主宰する山中ひとみさん。日本で活躍するカンボジア古典舞踏家です。
    
 山中さんはカンボジア王立芸術大学の舞踏科で古典舞踏を5年間学び、2003年に卒業。ボッパー・デヴィ王女から直接、古典舞踏の師範として認められました。
    
 国内でカンボジア舞踏教室などを開催。毎年5月に開催されるカンボジアフェスティバルでもカンボジア舞踏を披露されています。2021年には日本カンボジア舞踏協会を設立。設立の際には当店にもご来店いただいたことが「SAKARAK」のフェイスブックに掲載されています。
  
    
 ということで、カンボジアの大事な無形文化遺産、古典舞踏のアプサラがこれから日本や世界の人びとに、その文化的価値が伝わっていくことを期待しています。

カンボジア古典舞踏、アプサラ
カンボジア古典舞踏に貢献した王妃・王女とカンボジア国王の系譜

<参考文献>
カンボジア生活情報誌『NyoNyum 105th クメールの魂を踊りに込めて』(ニョニャム)Feb/Mar 2020
上田広美・岡田知子『カンボジアを知るための62章』明石書店 2012
「日本カンボジア舞踏協会」サイト https://aquafox25.sakura.ne.jp/jcda/about_jcda/
Wikipedia「Royal Ballet of Cambodia」「Apsara」「Ang Duong」ほか

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