カンボジア料理 神楽坂 バイヨン

「クメールの微笑み」はお釈迦さまの微笑み

カンボジアは仏教国。一年は仏教行事で動いている

 カンボジアの国民の約95%は仏教徒。仏教に関する行事が毎年たくさんあります。
     
 4月は「お正月」。新年1月のお正月もありますが、カンボジアのお正月は農閑期の4月です。伝統行事は太陰太陽暦で決められますので、日程は毎年少し違います。2023年は4月14日から16日でした。
     
 5月はお釈迦さまの誕生節「ヴィサクボーチア」。お釈迦さまの誕生と成道(じょうどう・悟りを開くこと)、そしてお釈迦さまの入滅(にゅうめつ)を記念する日。仏教徒にとって重要な日です。
   
 6月ごろから10月までの雨季は「雨安居(うあんご)」です。この間、僧侶は寺院から外出せず、仏教について学び、瞑想などの修行に専念します。
   
 秋は「プチュム・バン」。カンボジアの仏教徒にとってもっとも重要な行事のひとつです。日本のお盆と同じように先祖の霊をまつります。15日間続き、そのうち3日間が祝日。2023年は10月13日から15日となりました。
    
 そのほか僧侶に衣などを贈る「カチン祭」、月を拝む日の「ソンペァプレァカエ」、万仏節の「ミアックボーチア」などの仏教行事があります。
   
 仏教行事では家族や親族できれいに着飾って寺院にお詣りしたり、食べ物やお金などのお布施をもって寺院に集まったりします。カンボジアの人たちにとって仏教行事は大事な生活の一部であり、大切な心のより所となっています。(大坪加奈子『社会の中でカンボジア仏教を生きる』より)

カンボジアは「上座部仏教」。お釈迦さまの教えで悟りをひらく

 カンボジアの仏教は初期の仏教である上座部仏教です。「テーラワーダ(Theravada)」ともいいます。お釈迦さまを見習って修行して悟りをひらくことが目的です。
    
 この世は苦しい世界。輪廻転生でなんども生まれ、なんども死ぬ。インドの人たちは「これは大変。なんとかこれから逃れたい」と考えました。
    
 その方法のひとつが仏教です。開祖のお釈迦さま(紀元前463年~383年・諸説あり)は王族という身分を捨てて出家。さまざまな修行を経て35歳で菩提樹の下で悟りをひらきました。
    
 上座部仏教では悟りをひらくために出家して僧侶となり、たくさんの戒律を守りながら修行します。お釈迦さまと同じ仏陀(ブッダ・仏)にはなれなせんが、修行を果たせば阿羅漢(あらかん)という聖者になれます。これで輪廻をぬけて悟りの世界に入れます。
   
 出家しない人は在家(ざいけ)とよばれます。普通の生活をしながら出家した僧侶を布施(ふせ)などでサポートします。これが功徳(くどく)です。功徳を積むことによって来世のしあわせに近づけます。

日本の仏教は「大乗仏教」。さまざまな仏で人びとを救済

 日本の仏教は大乗仏教ですね。日本には6世紀ごろ伝来。お釈迦さまが亡くなってから900年近くたっています。また中国を経由してきたことから、もともとのお釈迦さまの教えよりも人びとに受け入れられやすい大乗仏教となって伝わりました。
    
 9世紀、平安時代には最澄が「天台宗」、空海が「真言宗」をひらきました。そして鎌倉時代には法然の「浄土宗」、栄西の「臨済宗」、親鸞の「浄土真宗」、日蓮の「日蓮宗」など多くの宗派が生まれました。
    
 お釈迦さまのように出家して修行して悟りをひらくのは普通の人にはできません。大乗仏教では在家である人びとを救うためにシステムを少し変えて、仏さまを拝んだり経を唱えたりすることにしました。
    
 このためたくさんの仏さまやお経(仏典)が登場することになりました。如来(=仏陀)として釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来や悟りに向かう菩薩として観音菩薩や弥勒菩薩に文殊菩薩など、多くの仏さまが出てきました。
    
 これらの如来や菩薩などにいろいろなことを願うことで、普通の人も心やすらかに生きることができるようになりました。 

カンボジアにはお釈迦さまの教えがすぐに伝わった?

 上座部仏教は、古代にスリランカからタイ・ラオス・カンボジア・ミャンマーなどの東南アジア一帯に伝わりました。ただしベトナムは古くから中国の影響が強く大乗仏教を信仰する人が多いようです。
   
 仏教がいつカンボジアに伝わったのかは諸説あるようですが、7世紀以前には仏教が確実に信仰されていたようです。
   
 唐の僧侶、義浄は671年に中国の広州付近からインドに旅し694年に帰国しています。その著書『南海寄帰内法伝』(宮林昭彦・加藤英司訳)には以下のように記されています。文中の「扶南」は古代1世紀から7世紀ごろのカンボジアのことです。

(この占波から)西南に一ヵ月で跋南(ばつなん・Bnam)国に至る。(中国では)旧(ふる)くは扶南と云った(国である)。先(むかし)には(衣服を着けることを知らず、)裸国であったのであり、人は多く天(Devaすなわちヒンドゥー教の神)に事(つか)えていた。後には仏法が盛んに流(布)したのだが、悪王が(出たため、仏教は)今では並(みな)除かれ滅ぼされてしまい、逈(まつた)く僧衆(そうしゆ・僧たち、僧伽samgha)は無く、(仏教以外の宗教、すなわち)外道(げどう)が雑居しているだけである。

 また中村元編『アジア仏教史<インド編6>東南アジアの仏教』の「6章カンボジアの仏教(藤吉慈海著)」によると、扶南国王のジャヤヴァルマンが503年に中国の梁(502年~557年)の武帝に「珊瑚の仏像」を献上したとしています。
   
 さらに同書は「スリランカの資料によると、仏教は紀元前309年にカンボジアに定着したとしている。」と記しています。お釈迦さまが亡くなって80年ほどで伝わったことになります。
     
 確証はありませんが、資料のとおりならカンボジアの上座部仏教はお釈迦さまの教えと強く結びついていることになります。

クメールの微笑みはお釈迦さまの悟りの微笑み

 カンボジアでもっとも尊敬されているジャヤヴァルマン7世(在位1182年~1201年)は熱心な仏教徒でした。当店の店名のもととなったアンコール・トム「バイヨン」の塔の四面像。クメールのほほ笑みと呼ばれるやさしい表情はジャヤヴァルマン7世の顔を神格化したものとも言われています。
     
 口角があがった官能的ともいえる口元、少しつりあがった目尻など神秘的な表情をしています。
     
 前述の『アジア仏教史<インド編6>東南アジアの仏教』はクメールの微笑について「その神秘的な微笑は仏陀が到達した涅槃(ねはん)の境地の内面的な輝きが、この微笑として表現せられたものと考える。」としています。
     
 つまりクメールの微笑みとは、お釈迦さまが悟りをひらいたときのやすらかな表情ということのようです。この国の人たちのやさしい表情もお釈迦さまの教えを大事にすることから来ているのだと思います。

アンコール・トムのバイヨン四面像
アンコール・トムのバイヨン四面像(pixabayより)

<参考文献>
大坪加奈子『社会の中でカンボジア仏教を生きる』風響社 2016
上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための62章』明石書店 2016
中村圭志『図解 世界五大宗教全史』ディスカバー・トゥエンティワン 2016
義浄/宮林昭彦・加藤栄司訳『現代語訳 南海寄帰内法伝: 七世紀インド仏教僧伽の日常生活』 法蔵館 2022
中村元編『アジア仏教史インド編6東南アジアの仏教』佼成出版社 1976

来店のご予約は TEL 03-5261-3534 受付時間 10:00~22:00

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